かき氷のあの旗

From:舛田

 

酷暑が続いております。皆さま、現場やオフィスなど様々かと思いますが熱中症対策していますか?

クールビズと言う言葉も数年前に世に回り、今では現場作業では空調服が欠かせないこのご時世になってきました。

さて、今回は酷暑に因んで「かき氷」のお話から弊社のお話へとご案内させていただきます。

本来であれば、皆様にかき氷をいただいてもらいながらメルマガをお読みいただきたいのですが(笑)

それでは参ります。

 

あの氷の旗には意味があった!!

そうなんです。皆さまも必ず1度は見たことがあるかと思いますが、かき氷の販売を行っているお店のあの旗です。

それでは暑さが尋常ではないので、少し深堀りしていきましょう。

 

かき氷は高価で気品の高い食べ物?

史実上での記録は平安時代に清少納言の『枕草子』「あてなるもの」(上品なもの)の段に、

金属製の器に氷を刃物で削った削り氷に蔓草の一種である甘葛(蔦の樹液または甘茶蔓の茎の汁)を

かけたとして「削り氷にあまづら入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる」と記述されている。

当時のかき氷は小刀で削るもので特権階級しか口にできないものでありました。藤原定家の『明月記』にも登場しています。

1869年(明治2年)7月には、神奈川県横浜にある馬車道で町田房造さんが初めての氷水店を開店。

(日本においてアイスクリームを発祥させた店でもある)

自店で日本で最初のアイスクリームを「あいすくりん」の名前で売り出しました。

しかし、1人前の値段はスプーン3~4杯で2分(現在の8000円相当)と高価だったことや、日本人には馴染みがなかったことから、

外国人が買う程度で、売れずにすぐに店じまいをすることもあったそうです。

また、1871年(明治4年)中川嘉兵衛が五稜郭の外堀で生産した天然氷が「函館氷」と銘打って京浜市場に登場しそれまでの

アメリカ合衆国・ボストン産の輸入氷「ボストン氷」に比べて良質でかつ低廉であった。

1878年 (明治11年)には「しめしめ。これは儲かるぞ…。」と粗悪な氷が販売されることが増え続け、

不純物が多く入っていたり体調崩す者も増えたそうな…。

上記、取り締まるために内務省から「氷製造人並販売人取締規則」が公布されました。

これにより営業者は、衛生検査に合格した氷の生産地・販売者名を示したのぼりや看板を掲げる事が義務付けられた。

つまり、営業許可証であり「うちのお店は安心・安全な氷ですよ」「国から認定を受けたお店ですよ」という意味がございました。

その名残が今でもかき氷を販売・取り扱うお店なんかに掲げられていますね。

 

実は弊社も・・・

管工事業は勿論、毒物劇物一般販売や下水道局指定等もしっかり許可を得ております。

私自身、排水設備責任技術者でもあります。

なので設計から施工まで弊社のみで解決する事例も多数あり、お客様より「他の業者の手配や打ち合わせが少なくて助かった」

や、「既設の解体撤去までしてもらって、助かったよ」など大変嬉しいお言葉をいただきます。

かき氷の旗はございませんが、ポンプや装置だけではなく、いつでも工事案件も承りますので是非お困りの方は

エイチツーまでよろしくお願いします。

 

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