HONDAの起死回生|市場リーダーに学ぼう

FROM;舛田

 

バイク欲しいな~HONDAのCB400fourめっちゃ欲しいな~。そんな気持ちになったことありませんか?

今日はそんなHONDAの失敗から学ぼう!ということで筆を走らせようと思います。(実際はキーボードですが)

 

えっ!HONDAが失敗!?そうです、時は1960年代から70年代に遡ります・・・

 

ハーレーダビッドソン VS ホンダ

1960年代のホンダは、

当時の日本国内オートバイ市場が比較的大規模だったこと、同じエンジンがオートバイだけではなく芝刈り機などにも応用されていた事が支えとなり、ホンダは50ccの小型バイクの製造・販売からスタートして徐々に業績を伸ばし、ついにアメリカ市場に挑戦を仕掛けます。

当然、ホンダはマーケット調査し、アメリカ市場に「50ccの小型バイク市場が無い」ことを結論付けます。

同社の市場調査では、アメリカ人は重くて速くてパワフルなバイクを好む、という結果を出します。

そこでホンダは割高な大型バイクの開発・生産を行い、社員3人をロサンゼルスに送り込み、セールスをスタートします。

 

プロジェクト失敗

ところが、このプロジェクトは完全に失敗します。

ほとんどのディーラーがホンダ製のバイクを仕入れる事すら拒み、事態は数百台を売った時にさらに悪化します。

 

当時ホンダには、高速道路を長距離走行できるバイクの製造経験が無かった為、新製品にそれだけの性能が無いことがすぐに露呈したのです。

 

ホンダは日本から空輸で交換部品を取り寄せ事態の収拾を図りますが、そのコストは会社が傾くほどだったと言います。

 

偶然の起死回生

当時、アメリカの営業チームの責任者だった川島喜八郎氏は、悩み多き営業マンの気晴らしになればと考え、日本から50ccの小型バイクを3台取り寄せます。

そうです、スーパーカブです。

 

そして日曜日に「バイク・セラピー」としてLAの悪路を走り、翌週には部下たちと山でツーリングに行くようになります。

 

このスーパーカブが、山でツーリングを楽しんでいた他のバイカー達の目に留まり称賛され、

「どこで買えるんだ!?」と質問攻めにあったと言います。

3人は自分たちが毎週楽しんでいるような、主にオフロードで乗るレジャー用ならスーパーカブは売れる!と確信します。

 

その後のホンダ快進撃はご存知の通りですが・・・

 

小型バイク市場は、はじめはオフロード愛好家たちに受け入られ、そのあとにバイク通勤者たちが続きます。

1959年に55万台だったアメリカ国内のオートバイ市場は、1975年には年間500万台に増加。そのほとんどがホンダ製の小型バイクだという事です。

 

実はエイチツーもそんな経験が・・・

以上はホンダの快進撃でしたが、弊社にも同じような経験があります。

 

当時、耐熱水中ポンプを中心に展開しており、順調に事業を伸ばしていたエイチツーでしたが、

「pH中和処理装置」をやってはどうか?とアドバイス頂きました。

競合がひしめく(まさにハーレー的な)中、エイチツーが今さら参入しても・・・という気持ちがあったものの、

挑戦がカルチャーである我々は中和処理事業を始めます。

 

そして現在、お陰様で「早い・安い・うまい」という定食屋のような評判を頂き、コア事業まで成長しました。

大きな特徴は「特殊仕様にも柔軟に対応」「設計はもちろん、工事も自社でできる」ということが評価されています。

特に他社さんは中和処理を「パッケージング」して売る為、特殊仕様に弱く、施工も出来ない、という隙を突いた形となりました。

 

「HONDAに重ねるのは無理あるだろ」

というお叱りの声を含め、中和処理でお困りのお客様はぜひ当社へお問い合わせください!

 

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