苛性ソーダの歴史学

FROM:長谷

 

「苛性ソーダ」と聞いて、

危ない!なんか危険!強アルカリ!

 

そんなイメージはありませんか?

 

苛性ソーダは現代社会に必須の無機薬品です。

 

国内では、年間400万トン生産されているらしいです。

これは、養殖を含む水産物の生産量(サバやカツオなど全て!)とだいたい同じです。

 

そんな苛性ソーダですが、大量生産が可能になるまで、数千年の時が必要でした。

 

そんな苛性ソーダの「歴史」を、一緒に見てみましょう。

ミイラを作るのにも、ガラスを作るのにも、

人類は、常に「アルカリ」を欲していたのを、知っていますか?

 

人類は古来よりアルカリを求めていた

 

 

苛性ソーダは正しくは水酸化ナトリウムと言います。

 

化学の歴史をざっと見ると、人類の文明は古来よりアルカリを求めていました。

 

それは石鹸を作る為に必要であり、製紙の為、ガラスを作る為に必要でした。

 

古代エジプトでは、数千年前から「ナトロン」と呼ばれる天然に産出する鉱物を使い(諸説ありますが、炭酸ナトリウム水和物と炭酸水素ナトリウムを主成分とし、不純物として塩化ナトリウムや硫酸ナトリウムを含む鉱物)、石鹸やミイラ作りなど様々な用途でアルカリが使用されていました。

 

その一つがガラスの製造で、少なくとも7世紀まではナトロンが使用されていました。

 

ナトロンが得られない地域では、木を燃やして灰を作り、その上澄みを煮詰めて炭酸カリウムを得ていました。

 

そこに消石灰を混ぜれば水酸化カリウムとなり、これを油と混ぜれば石鹸となります。

 

石鹸を量産しますが、ヨーロッパでは木を燃やし過ぎて少なくなってしまいます。

 

燃やすものが無い

 

 

そこで次は海藻を燃やして炭酸ナトリウムを得ます。

 

同じ要領で、水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)を得ることが出来、こちらを使った方が固い石鹸が出来る、という事で流通しましたが、やはり海藻も多くは採れませんでした。

 

とにかく炭酸ナトリウムがあれば大量に石鹸が作れるのですが、原料が不足していました。

 

当時は科学的な組成も構造も解っていませんでしたが、炭酸ナトリウムでは無く「ソーダ灰」と呼ばれていました。

 

ちなみに「ソーダ」というのはアラビア語で「頭痛」「頭痛薬」を意味します。

どれだけ当時炭酸ナトリウムが頭痛の種になっていたかわかりやすいですね。

 

「アルカリ」という単語もアラビア語で「植物の灰」という意味です。炭酸カリウムも炭酸ナトリウムも区別せず、そう呼ばれていたようです。

 

そして1780年前後、政治的な事情で資源不足に陥ったフランスが「海の塩からソーダ灰を作る」方法を公募します。

 

その公募に応える形で1791年に特許を得て登場したのが「ルブラン法」です。

 

海水と硫酸を混ぜて硫酸ナトリウムを作りそれに石炭(炭素)と石灰石(炭酸カルシウム)を混ぜて焼く、という方法でソーダ灰を得る方法が確立され、水酸化ナトリウムの大量生産が可能になりました。

 

 

そして現代では中和に使用される苛性ソーダ

 

苛性ソーダはpHの中和にも大活躍です。

 

比較的安価に強アルカリを得れるので、酸性の排水を中和する時は、苛性ソーダが一般的ですよね。

 

もちろん、エイチツーの中和装置も、アルカリは苛性ソーダを前提としています。

 

今回ご紹介する事例は「酸洗い排水の中和」です。

ステンレス材を酸で洗う際に出る排水を、苛性ソーダが中和しています。

 

古代だったら木を燃やして上澄みを取る工程が必要でしたが、有難いことに年間400万トンから苛性ソーダを分けて頂きました。

 

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