地震の日、山崎さんが亡くなった日

FROM:長谷

 

1月1日、能登半島地震が日本襲った。

 

その時、私は自宅で本を読んでいた。

「紙の民」という、メキシコ人の書いた難解なフィクションだ。

 

土星と戦う人々とその中にいる紙でできた人の話で、いくつものメタファーが入り混じった和訳だ。 

 

大きな揺れを感じ、戸惑うとともに、

テレビからアナウンスされる震源地情報。

 

「うちの富山支店は大丈夫だろうか」

 

すぐに連絡して全員の無事を確認。

 

そしてその、多くの人が犠牲となった地震とは全く無関係の場所で、山崎さんが亡くなった。

 

山崎元とは

 

山崎元さんとは、大枠で言うと経済評論家、私が知ったのは資産運用のYouTubeか何かでの対談だった。

 

ものすごくはっきり言うと、私の資産運用の考え方と、山崎さんの資産運用の考え方は全く違っており、逆にそれが新鮮で興味がわき、著作も少し読みフォローしていた方だ。

 

「資産を増やす」という手法や考え方において、もちろん、私なんかより彼の方が100億倍詳しいだろうし、結果も出している方なんだろうけど、特に個人的に好き、というワケではなく、その「亡くなった」というニュースは、あまりにも大きな地震のニュースにかき消され、ネットニュースの隅に載っていた。

 

山崎さんはnoteというブログ媒体で「癌になった」などと公開しており、余命宣告も受けていたようだ。

 

その、山崎さんの最後の投稿に書かれていたのが、

「過去は「他人」のもの、最期の一日は「本人」のものだ。お互いに機嫌良く過ごす上で邪魔になるものは何もない。
 上機嫌なら全て良し、と思うがいかがだろうか。

 

故人の最後の投稿が、

しかも株式投資という、ある意味刹那的な仕事をされた方の最後の投稿が、

「上機嫌なら全てよし」と言うのが心に刺さった。

 

実は我々のすぐ隣には、

死という現実が川のように流れていて、

普段は見える事は無いけれど、ほんの少しの踏み外しやタイミングで、

その川に飲み込まれてしまうんだろう。

 

私は死ぬ直前まで、上機嫌でいられるだろうか?

むしろ、自分が上機嫌になる条件やシチュエーションは何だろうか?

残された人生で、出来る限り上機嫌に生きていきたいと感じました。

 

そして富山支店を作った縁もあり、

石川・北陸の為の出来る事を少しずつ実行していこうと思っています。

 

あなたは生や死について、どう考えていますか?