FROM:長谷
大谷翔平が副収入(スポンサー等)も含めて、年100億円以上の収入になるという。
もうすぐ中学生になる小6の娘から、
「なんで野球が上手いだけで100億円もらえるの?」
と質問をされ、その時は困惑していたのだが、
私なりの回答を、この記事で記したいと思う。
ちなみに私自身は大谷翔平のような海外で活躍するアスリートを尊敬しているので、
今回はあくまで「なぜ野球が上手いだけで100億円ももらえるのか」
という点のみで語る事を強調しておく。
大谷翔平の事を評価したり、僻んだり、妬んだり、
そういった意図はない事を理解した方のみ、記事に進んで頂きたい。
野球が上手い「だけ」では無い
まずこのテーマを語るうえで、大谷翔平は「野球が上手いだけでは無い」という点を押さえる必要がある。
彼は「野球が上手い」というのは大前提で、
「二刀流」という、再現不可能な希少性が異常なのである。
・投手としてもトップクラス
・打者としてもトップクラス
・それを同時になる選手は歴史上ほぼいない。
これだけで「希少性」が別次元である。
そして、その希少性が生み出すモノが、一番大きなポイントである。
具体的には、
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日本の視聴率がMLBに直結
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ドジャースの試合=日本中が注目
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スポンサーは「MLB」ではなく「大谷」を買っている
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野球を見ない層(子供・高齢者・海外)まで届く
そしてもちろん、彼の素晴らしい人格も、年収を押し上げる要素だ。
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スキャンダルゼロ
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お金や名声に溺れない
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努力・誠実・継続の象徴
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子供に見せたい大人像
つまり企業から見ると「リスクが極端に低い広告塔」。これは、数字以上に価値がある要素だろう。
まとめると、大谷翔平は、
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チームの価値
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放映権
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グッズ
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観光
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広告
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野球人口
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国のイメージ
これらを合計して、
野球を通じて100億円分の価値を生んでいる。
と言える。または、
「野球を通じて、とてつもない経済と感情を動かしている」
というのが正解だろう。
資本主義の矛盾
さて、みなさんは上記を読んでどう感じただろうか?
私は、ここに資本主義の核心的な矛盾を感じるのだ。
なぜなら、
野菜を上手く作れる人が100億円を稼ぐのはほぼ不可能だ。
でも野球が上手いと100億円を稼ぐことができる。
人間にとって必要なのは明らかに野菜なのに、
野球が上手い人の方が、お金をたくさん稼ぐことができる世界。
私は経営者なので、もちろん共産主義でも全体主義でも無いが、
あまりにもギャップがありすぎる例を見ると、何か薄ら寒いモノを感じてしまうのである。
資本主義は「必要性」ではなく「希少性」に値段をつける
資本主義が評価するのは、
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人間にとって必要かどうか
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社会的に尊いかどうか
ではなく、
・どれだけ希少か
・どれだけスケールするか
・どれだけ他人の注意・時間・感情を奪えるか
である。
野菜は「絶対に必要」だが、
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誰でも作れる
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代替がある
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消費に上限がある
だから価格が上がらない。
これは野菜が軽視されているのではなく、資本主義の評価軸がズレていると考えるべきだろう。
野菜がなくなると人は死ぬ。
大谷がいなくても人は死なない。
でも資本主義はこう評価する。
・野菜:必要だが替えが効く
・大谷:不要だが替えが効かない
ここが私の違和感を発生させる決定的なズレではないだろうか。
違和感を感じないと
この違和感を感じる人がいなくなると、
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食料を作る人がいなくなる
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水を守る人がいなくなる
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でも広告と娯楽だけが増える
という、かなり危うい社会になるのでは無いだろうか。
「お金」という価値だけを信じる人が増えすぎると、
資本主義は限界を迎えるかもしれない。
そして、
「お金」以外の価値観、
例えば、使命感や責任感、郷土への愛着など、
そういった価値を軸に持つ人が一定数いることで、
何とか世界は回っているのかもしれない。
我々(エイチツー)の仕事はポンプや排水処理、浄水処理を通じて、
地味だが社会インフラ/工場インフラに無くてはならない業態である。
もっと「そこ」に誇りを持って仕事をしても良いと改めて思った。
世界は、
100億円は稼げないけど、
コツコツと食料を作り、黙々と水を守り、
機械を整備したり、綺麗に窓を掃除したりする人達が作っているんだと信じて、
今日も一日頑張ろうと思う。
















